逝去のお知らせ
経済界創業者であり、経済界主幹・佐藤正忠は、2013年8月17日、85歳にて他界致しました。ここに故人が生前中賜りましたご厚誼を深謝し、衷心より御礼申し上げます。
佐藤 正忠 (さとう・せいちゅう)
雑誌『経済界』主幹
1928年秋田生まれ
明治学院在学中に、家族への仕送りと学費捻出のため、易者をしながら全国を巡る。 その経験をまとめた初の著書『学生易者』が話題となり、一躍時の人に。
その後、リコー社長の市村清氏の秘書となり、後に「経営の神様」といわれる市村清をプロデュース。各界の一流人の知遇を得る。
1963年10月 | ホワイトハウスにて。J.Fケネディ米元大統領の弟で、 米国司法長官(当時)のロバート・ケネディ氏の招きで、後の建設大臣の中尾栄一氏とともに初めて渡米。 エンパイア・ステートビルの展望台で経済雑誌のオーナーになることを決意 |
1969年12月 | 総選挙に出馬するが惜しくも次点で落選 |
1973年9月 | 新日本製鐵会長(当時)の永野重雄氏(左)、同社副社長(当時)の藤井丙午氏(中央)と。箱根・永野重雄氏別荘にて |
1977年6月 | イラン・ジャパン石油化学(IJPC)の建設工事現場を現地取材(左から2人目が佐藤) |
1978年6月 | 著名な経営者が勢ぞろいした「第1回永野重雄杯争奪 経済界チャリティーゴルフ大会」を開催(大箱根カントリークラブ) |
1979年3月 | 脳卒中で倒れ、約一年間の療養生活を経て奇跡の生還を果たす |
1980年7月 | 中内功ダイエー社長(当時、左)、永野重雄日本商工会議所会頭(当時)と |
1982年1月 | 病後初の外遊で釈迦生誕の地・インドを訪ねる。左は訪問団団長を務めた龍源寺住職の松原泰道師 |
1984年5月 | 五島昇日本商工会議所会頭(当時)を直撃 |
1989年7月 | ロンドンにて作家のジェフリー・アーチャー氏と ロンドン経済界倶楽部で140人のエグゼクティブを前に熱弁 |
1991年2月 | 映画「福沢諭吉」プロデューサーに。記者会見で右から主演の柴田恭兵さん、岡田茂東映社長(当時)、佐藤、南野陽子さん、仲村トオルさん |
1992年8月 | 土方武日本たばこ社長(中央)と佐治敬三サントリー社長(右)(肩書はいずれも当時) |
1993年2月 | 海部俊樹元首相と |
1993年9月 | ソニー会長(当時)の盛田昭夫氏と |
1994年6月 | 上海市長(当時)の黄菊氏に単独インタビュー |
1994年10月 | 銀座松屋にてチャリティー書道展を開催。プロの書家としてデビュー |
1994年11月 | 日本ユニセフ協会の澄田智会長に「佐藤正忠チャリティー書道展」の収益金を寄付 |
1995年3月 | 不動産業界トップの座談会で司会を務める |
1995年6月 | 渡辺美智雄元副総理と |
1995年6月 | 浜野ゴルフクラブにて。左から孫正義ソフトバンク社長、金子尚志NEC社長、佐藤、 北城恪太郎日本IBM社長(肩書はいずれも当時)とプレー |
1995年8月 | 学書院にて。個展に向けて作品制作 |
1997年4月 | ゼネラル・モータース会長兼CEO(当時)のジョン・F・スミス氏に現地で会見 |
2002年10月 | 第9回佐藤正忠書道展にて。親友・前野徹氏、衆議院議員・野田聖子氏、中曽根康弘氏と |
2002年12月 | ラジオ日本スタジオにて「佐藤正忠の朝駆け一番・人間探訪」最終回収録。 ゲストの牛尾治朗(ウシオ電機会長)氏と |
2002年12月 | 伊勢神宮にて、佐藤有美社長と。不自由な足で内宮参道を歩き通した |
2011年1月 | 2011年経済界大賞表彰式にて、キッコーマン会長の茂木友三郎氏と |